2016年10月05日

福岡県沖の小島に朝鮮通信使の記念碑

江戸時代に朝鮮通信使が立ち寄ったことを記念した石碑が、福岡県の相島という小さな島に建てられることになったと読売新聞が報じている。

この建立に関しては地元の自治体などは関与しておらず、通信使の来貢を過大評価する一部の民間人が勝手にすることで、ほとんどの地元住民は無関心であるという。

地元住民の関心が薄いのは、訪れた通信使たちとの交流がほとんど無かったせいもある。通信使たちは沖合いに浮かぶ小さな島(相島)に一晩泊まってすぐに立ち去っているからである。

その際の接待は福岡藩が担当したが、ちゃんと接待するなら本島に招待すればいいものを、あえて通信使たちを沖合いの小島に留め置いて、本島から接待用の資材を運んでいる。

これには理由があって、通信使たちの素行があまりに悪いので、領民とのトラブルを避けるために城下に近づけたくなかった――つまり沖合いの小島に野蛮人たちを「隔離」する意味があったというのが郷土史家の間では定説になっているらしい。

つまり朝鮮通信使は福岡藩にとって迷惑な存在であり、そのせいか通信使の来貢が途絶えると、たちまち関連施設は取り壊されて、史跡と言えるものは現在ほとんど残っていないという。

ちなみに相島には別の歴史もあって、かつて秀吉旗下の名だたる武将たちが、朝鮮征伐へ向かう途上で相島に立ち寄り、島の千手観音像に武運を祈ったという逸話があり、その史跡は今も残っている。

戦国好きな若者も増えている昨今、それらの史跡を整備して宣伝すれば観光振興に役立つのではないのか。朝鮮の蛮人どもを「平和外交の象徴」などと嘘の歴史で祭り上げても嫌韓国家となった現在の日本ではクソの役にも立たないだろう。

石碑の費用を提供した地元の僧侶は、誰に吹き込まれたのか「言葉や風習などの違いがある両国が、対等な立場で相手を尊重し合い、平和な時代をつくった」などと語ったらしいが、そんな史実はありません。


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朝鮮通信使(朝貢使).jpg
徳川将軍へのご機嫌伺いだったのことは自国民には内緒ニダ
posted by 斉 at 02:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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