2017年05月04日

韓国・釜山市で珍妙な通信使イベントが開催

2017年4月18日付けの聯合ニュースによると、韓国・釜山市で「朝鮮通信使祭り」なる行事が、同市を代表する巨大イベントとして3日間にわたり大々的に開催されるという。

朝鮮通信使とは、李氏朝鮮から日本に派遣された朝貢団で、江戸時代250年の間に15回ほど来日したとの記録がある。

今でこそ偽善マスゴミや三文学者どもによって日韓友好の象徴のように祭り上げられている朝鮮通信使だが、歴史的な重要性は極めて小さいため、韓国人たちが過大評価してキチガイのように騒ぎ始める1970年代以前は、日本の史学界からはほとんど無視されていた存在だった。

そんな取るに足らない糞のようなものを記念する行事が、韓国の著名な観光都市・釜山において、地域を代表する巨大イベントになっているのだから、考えてみるとなんとも珍妙な話である。

例えば「ワーテルローの戦い」のような歴史的な大事件を記念する行事なら理解もできるが、朝鮮通信使などという他国への朝貢団に過ぎないカスみたいなものを記念する巨大イベントが、主要な観光都市において毎年開催されているという事実は、世界的に見ても特異であるに違いない。

その主要な原因は韓国の歴史捏造にあると言える。韓国では「通信使が停滞した日本に先進の文化を伝えたニダー」などという噴飯もののデタラメが教えられているため、韓国人としては大いに虚栄心がくすぐられる。そのため全国民が通信使という存在を異常に過大評価してしまい、結果このような滑稽かつ珍妙なイベントが誕生したわけである。

ちなみに今年は「平和を夢見る」などという口先だけのテーマを掲げて、国際学術シンポジウム、関連資料のユネスコ記録遺産登録を祈願する踊り、日韓による交流公演などの無意味な行事が計画されているという。

またイベントのハイライトとなるパレードでは、釜山市の大通り約1.5キロを、約2000人もの馬鹿どもが安っぽい通信使の扮装を着てゾロゾロ練り歩くという。なんとも虚しいばかりである。


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釜山通信使再現行列滑稽.jpg
日本に文化を伝えたニダー誇らしいニダー!
タグ:朝鮮通信使
posted by 斉 at 04:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

朝鮮に寝返ったキチガイ武将で町おこし?

和歌山県の地方紙に『日韓交流朗読劇「沙也可の見た空」』という小さな記事を発見した。

和歌山県のとある市民団体が「沙也可(サヤカ)」をテーマにした朗読劇を上演するのだという。

「沙也可」というのは安土桃山時代の戦国武将で、和歌山県を根城にした傭兵集団「雑賀衆」の一員だったという説もあり、この市民団体ではその説を採用しているようだが、実際は本当にいたかどうかも分からない謎の人物である。

韓国側の主張によれば、沙也可は秀吉の朝鮮出兵に参加した日本の武将だったが、戦いの名分に疑問を感じ、また現地で触れた朝鮮文化に崇敬の念を抱くようになり、ついに3千人の部下を引き連れて朝鮮側に寝返って、日本軍を相手に戦うようになったのだという。

しかし日本側にそのような記録は一切なく、日本のマトモな歴史学者の間では、沙也可の実在性は完全に否定されている。突っ込み所満載の怪しい話だから当然だろう。

例えば、いくら敵国の文化に崇敬の念を持ったとしても、そんな程度のことで同胞を裏切れるものなのか。その裏切りによって、本国に残された親族が(部下たちの親族も含め)過酷な扱いを受けるのは明白だ。朝鮮文化などという糞みたいなもののために故国の親族を捨てるなどキチガイ沙汰であり、あまりに現実離れしていてリアリティが感じられない。

そもそも3千人もの部下を率いる有力武将が朝鮮側に寝返ったとすれば、戦線を揺るがす大事件であり、日本側に一切の記録が残っていないということはありえないのだ。

ちなみに敵に寝返った兵士が皆無だったわけではなく、例えば本隊から逸れて飢餓に苦しむなどの理由で、やむなく朝鮮側に投降し、命惜しさに協力者に成り果てた雑兵などはいたらしく、その子孫を名乗る人々の村も韓国には実在する。

そして、そんな雑兵の子孫の一部が「ウリの先祖は日本の有力武将だったニダ〜」などと駄ボラを吹き始めたのがこの珍妙な伝説の始まりであるらしい。

で、そのような怪しい物語を「雑賀衆・沙也可で街おこしの会」と名乗る団体が、セミプロの脚本家や元宝塚の団員などを起用して、朗読劇として上演するというのだが、そんなことで町おこしになるのだろうか。

何か別の意図があるような気がしないでもないが、想像の域を出ないので具体的に書くのはやめておこう。ただ非常にうさん臭く、史実である可能性がゼロの物語であることだけは指摘しておきたい。


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サヤカだってよ.jpg
沙也可(想像図)
posted by 斉 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

福岡県沖の小島に朝鮮通信使の記念碑

江戸時代に朝鮮通信使が立ち寄ったことを記念した石碑が、福岡県の相島という小さな島に建てられることになったと読売新聞が報じている。

この建立に関しては地元の自治体などは関与しておらず、通信使の来貢を過大評価する一部の民間人が勝手にすることで、ほとんどの地元住民は無関心であるという。

地元住民の関心が薄いのは、訪れた通信使たちとの交流がほとんど無かったせいもある。通信使たちは沖合いに浮かぶ小さな島(相島)に一晩泊まってすぐに立ち去っているからである。

その際の接待は福岡藩が担当したが、ちゃんと接待するなら本島に招待すればいいものを、あえて通信使たちを沖合いの小島に留め置いて、本島から接待用の資材を運んでいる。

これには理由があって、通信使たちの素行があまりに悪いので、領民とのトラブルを避けるために城下に近づけたくなかった――つまり沖合いの小島に野蛮人たちを「隔離」する意味があったというのが郷土史家の間では定説になっているらしい。

つまり朝鮮通信使は福岡藩にとって迷惑な存在であり、そのせいか通信使の来貢が途絶えると、たちまち関連施設は取り壊されて、史跡と言えるものは現在ほとんど残っていないという。

ちなみに相島には別の歴史もあって、かつて秀吉旗下の名だたる武将たちが、朝鮮征伐へ向かう途上で相島に立ち寄り、島の千手観音像に武運を祈ったという逸話があり、その史跡は今も残っている。

戦国好きな若者も増えている昨今、それらの史跡を整備して宣伝すれば観光振興に役立つのではないのか。朝鮮の蛮人どもを「平和外交の象徴」などと嘘の歴史で祭り上げても嫌韓国家となった現在の日本ではクソの役にも立たないだろう。

石碑の費用を提供した地元の僧侶は、誰に吹き込まれたのか「言葉や風習などの違いがある両国が、対等な立場で相手を尊重し合い、平和な時代をつくった」などと語ったらしいが、そんな史実はありません。


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朝鮮通信使(朝貢使).jpg
徳川将軍へのご機嫌伺いだったのことは自国民には内緒ニダ
posted by 斉 at 02:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする